島田紳助と松本人志の関係で最も有名で語られているのが、
ダウンタウンが世に出てきて紳助・竜介は勝てないと思って解散したという話。
この話は紳助本人もテレビでもよく語っているるし、
松本人志もテレビで話をしている。
松本人志は芸人として紳助を尊敬している
紳助の人間性はいったんおいて、
松本人志が芸人として紳助を尊敬していたのは事実だ。
あのダウンタウン絶頂期に大ベストセラーとなった、
『遺書』にも紳助の才能を認める記述がされてある。
また、二人がはじめた番組『松本紳助』の第1回でも、
松本は紳竜が引退したときの話を語っている。
「紳竜解散!太平サブロー・シローやダウンタウンに勝てない」
という新聞の見出しを見て松本はビックリしたという。
なぜならば、太平サブロー・シローはそれでも漫才師としては名が知られていたけど、
ダウンタウンというコンビ名はまだ誰もしらないような名前だったからだ。
なのに紳助が「ダウンタウンに勝てない」と、
名前を出して潔く辞めたところを評価している。
これは確かにすごいことだと思う。
紳助がその後、松本人志の名前を利用することがあったとしても、
分析する能力に長けていることは間違いのない事実だ。
松本はそれに関してはやはり認めている。
紳助は松本を脅威に思っていた
紳竜時代にダウンタウンをはじめてみたときに衝撃的だったというのも有名な話だ。
それはまだダウンタウンがNSC生の1期生の時に紳助が授業をしにいった時の話。
NSC生のネタをそれぞれ1分間ずつぐらい見て、
1組だけすごいのがいる・・・と。
それは同じように授業をしにいった明石家さんまとオール巨人も一致でダウンタウンが面白かったと。
そのが梅田花月の舞台の袖でダウンタウンを見たときはさすがに脅威に思ったのだろう。
紳助は非常に神経の細かい持ち主でいってみればビビリの性格なのだ。
だから、自分がどうなれるかを考えた時に自分の芸能界の人生を脅かされることに恐怖を覚えたに違いない。
紳助がバンドをしたり東京大学の受験をしてみたりサンデープロジェクトをしたりしていた背景には
松本人志の存在が大きいように思う。
松本はお笑い番組の企画力にも非常に優れていてそのへんの放送作家なんかよりも面白いアイデアをポンポンだす発想力がある。
そんなダウンタウンの番組と比べられることを紳助は極端に恐れていたのではないか。
だからできるだけ同じ土俵で勝負しないように、
音楽や政治やバイクなどいろんな試行錯誤をしていたのではないかと思う。
松本紳助がスタートしたのは・・・
そう考えると紳助は松本を敵対するのではなく、
あの人の言葉でいると「同盟を組もう」と考えて、
一緒に番組をやることにしたというのも一理あるような気がする。
どちらかというと松本はあの番組は乗り気ではないように見えた。
紳助が松本と共演し松本の先輩だという印象を視聴者に与えるためにも、
あの番組は紳助にとっては都合の良い番組だっただろう。
同じ漫才師という共通項がありながらも共通項はそれしかないかもしれない
漫才の歴史では二人とも確実にトップを走って時代の寵児と言ってもいい人たちだけど、
この二人に共通することは同じ漫才師ということだけかもしれない。
二人は入れ替えに歴史を刻んだけど、
それ意外に本質的な共通点は見当たらない。
タイプも全然違う。
松本はお笑いだけをできればいいというタイプで、
権力やカネに全く興味を示さない。
しかし紳助は真逆だ。
芸能人らしくないといえば芸能人らしくない。
実業家タイプの人間だ。
だから二人の関係というのは深いように見えて
実は非常に浅い関係なんだと思う。
【実録レポート物語】僕は紳助のDVDの90で人生が変わった
このブログ運営者の僕はひきこもり体質で人見知りの真面目系クズ人間でした。
それが今では起業したり街で美女に声をかけられるようになったり自分が思うものは手に入るようになりました。
すべては紳助のDVDの90分を見たのがすべてのきっかけ。
- [物語1] 神DVDとの出会い|僕は紳助のDVDの90分で人生が変わった
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