2011年、島田紳助の引退会見は世間を賑わした。
あの会見で紳助が一番最初に芸能人の名前を出したのは「松本人志」だ。
前もって引退を伝えたのは「ダウンタウンの松本だけです」と。
記者はすかさず「松本さんはなんと?」
やっぱ辞めないでください
と言うのだ。これは紳助が会見で言及した内容。
松本「いい加減にしてほしいわ、あのオッサン」
その後、松本人志が他の件で会見をした時の話。
当時は、なぜか紳助の引退に関してはあまり触れてはいけないような空気が流れていたそうだ。
にもかかわらず松本は紳助の引退に触れたのだ。
そして特に紳助とはやり取りをしていないという旨をあえて自分の言葉で伝えた。
これは松本の気持ちとしては、
いつもいつもオレと同等みたいな扱いにするなということなのだろう。
何でいつもオレも巻き込むねん、と。
実際、関係者の間では紳助が引退会見で松本人志の名前を上げられたことに対して不快に思っていたという。
そもそも、松本は「辞めないでください」とは言ってないそうだ。
つまり、松本は紳助のカッコつけた飾りたい引退会見のために松本ブランドを利用されたということだ。
だから「いい加減にしてほしいわ、あのオッサン」と言っていたそうだ。
松本は紳助が「一緒やわ」と言う同類にされることを嫌がっている
『松紳』を見ていてもこれはわかることだが、紳助は松本に対して敬意を払っているし才能を認めている。
そして何よりも好意をよせていることがわかる。
紳助は地位や権力などに対して興味のある人なので、
「天才松本人志はオレを認めていた。」というようなことを利用して、
同類項にしようとしている節は確かにあるなと感じる。
それによって自分の株価をつり上げて、
自分にも才能があるようなアピールをしているように見える。
おそらく紳助は無意識のうちにそういう言動をしているのだろう。
けどそういうやり方をして彼はそこまで上がってきた人でもある。
それが紳助の戦い方と言えば戦い方。
しかし、その辺の戦い方はぜんぜん違う松本は「一緒にしないでくれ」という怒りはあるのだろう。
紳助が松本の名前を使ったのは引退会見だけではなかった
実は、紳助が松本人志の名前を使ったのは引退会見だけではない。
2006年に紳竜として紳助の漫才の相方であった竜介が亡くなった。
その竜介の追悼特番で「松本も竜介の葬式にきて泣いてくれた」というような旨の発言をしたのだ。
しかし、松本はいちいちそんなもので自分の名前を上げているところに腹を立てていたようだ。
確かに、紳竜を解散したきっかけになったのはダウンタウンかもしれないが、
いっつもいっつも松本の名前を上げて自分のポジションを確立しようとしている姿に松本人志はウンザリしていることは確かなのだ。
それが紳助という男かもしれない。
【実録レポート物語】僕は紳助のDVDの90で人生が変わった
このブログ運営者の僕はひきこもり体質で人見知りの真面目系クズ人間でした。
それが今では起業したり街で美女に声をかけられるようになったり自分が思うものは手に入るようになりました。
すべては紳助のDVDの90分を見たのがすべてのきっかけ。
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